中村彝アトリエ記念館 (23 画像)
中村彝(つね)は、1887(明治20)年、現在の茨城県水戸市金町に、旧水戸藩士中村順正と妻よしの3男として生まれた。間もなく父を亡くし、11歳のときに母を亡くすと、陸軍軍人の長兄を頼って上京、牛込や大久保に住み、愛日尋常高等小学校(現愛日小学校)を卒業、早稲田中学に入学する。その後、長兄・次兄と同じく陸軍軍人をめざし、名古屋陸軍地方幼年学校に進むが、肺結核と診断されたために軍人の道を断念、画家を志すようになる。白馬会や太平洋画会の研究所で学び、1910(明治43)年、第4回文部省美術展覧会(文展)に出品した「海辺の村(白壁の家)」、翌1910(明治44)年の第5回文展において「女」、1914(大正3)年の「小女」で三等賞を受賞し、翌1915(大正4)年の「保田龍門像」では二等賞を受賞するなど、新進の画家としての地位を確かなものとしていった。一方、17歳で発症した肺結核は、一進一退の状況で、無理をすると発熱や喀血があった。
1911(明治44)年新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻の厚意で中村屋裏のアトリエに移るが、絵のモデルとなった相馬家の長女俊子との恋愛を反対され、1915(大正4)年4月、失意のうちに中村屋を去った。彝は、日暮里・谷中での下宿生活を経て、支援者であった銀行家今村繁三、政治家・教育家洲崎義郎らの援助で東京府豊多摩郡落合下落合464番地にアトリエ兼住居を新築し、1916(大正5)年8月20日に転居した。
このアトリエに移る前後には「田中館博士の肖像」「裸体」を制作し、前者は1916(大正5)年の文展で特選に選ばれるなど、充実した画業を展開していったが、1919(大正8)年4月、相馬俊子が亡命中のインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボーズと結婚したことを知り、彝は落胆する。その後、平磯海岸(茨城県ひたちなか市)で転地療養をしたが、病状は良くならず、これ以降病状は次第に悪化していく。
あまり外出できなかった彝は、この落合のアトリエをこよなく愛し、制作と療養の日々を送った。アトリエには彝の全世界があったといっても過言ではない。アトリエの内装や家具・調度品などは、彼の作品に重要なモチーフとして描かれている。1920(大正9)年9月9日彝と画友鶴田吾郎は、中村屋に滞在していたロシア出身の文筆家・音楽家ワシリー・エロシェンコをモデルに肖像画を描く。1週間制作に没頭した彝は、絵筆を置くと同時に病床に伏してしまう。2人の作品は、この年の帝国美術院展覧会(帝展)に出品され、高い評価を得た。
晩年の彝は、長時間の制作は難しくなっていたが、断続的にカンヴァスに向かい、「カルピスの包みの紙のある静物」「頭蓋骨を持てる自画像」「老母の像」などの作品を描いた。1924(大正13)年12月24日37歳の若さで死去。
彝の没後、遺品の整理等は身の回りの世話をしてきた岡崎きいと近くに住んでいた画友鶴田吾郎を中心に進められたが、間もなく友人らにより「中村彝画室倶楽部」(保存会)が結成され、遺品・遺作・アトリエの分類・整理が行われ、1点ずつ「中村彝画室倶楽部」というシールを貼り付け、遺品の分配も行われた。「中村彝画室倶楽部」は、その後「中村会」「中村彝会」等、改称されたが、多湖実輝・小熊虎之助・遠山五郎・會宮一念・鈴木良三・鈴木金平らにより、展覧会開催・出版。墓地整備等の顕彰事業が行われ、昭和63年に茨城近代美術館が開館した際には、彝の弟子で1971(昭和46)年から「中村彝会」会長を務めた洋画家・鈴木良三(1898~1996)や梶山公平らの尽力で、遺品の寄贈や復元アトリエの整備も実施された。イーゼルや家具等は、昭和63年10月茨城県近代美術館が開館し、敷地内に中村彜アトリエが復元されたのを機に、同館に寄贈され、アトリエ内に展示されている。
一方、このアトリエは協議の結果保存することになり、友人でもあった酒井億尋(荏原製作所第2代社長)が買い取り、さらに1929(昭和4)年に新制作協会創立メンバーの一人である洋画家の鈴木誠(1897~1969)に売却された。鈴木は、その後、西側に木造2階建の和館、東側に同じく洋館を増築するが、アトリエ部分については、基本的に手を加えずに使用して来た。このアトリエが今日に伝えられたことは、鈴木とその息子の正治(建築家)の見識と努力によるところが大きいといえる。
2007(平成19)年3月、地元の下落合地区を中心に、中村彝アトリエの保存・活用を実現することを目的とし「中村彝アトリエ保存会」が設立され、新宿区や関係者への働きかけと募金活動を行った。このような取り組みがやがて中村彝アトリエ記念館整備の機運を醸成していった。
この記念館は、後年増改築された建物を、大正5年建築当初の姿に復元したものである。当時の部材も数多く活かして復元されたアトリエは、この記念館の最大の財産である。

東京都新宿区下落合3-5-7
公式ホームページ

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