飯沼貞雄終焉の地 (7 画像)
会津藩士飯沼猪兵衛一正(録450石)の二男として1854(嘉永7)年に生まれた。幼名は貞吉。
1868(慶応4)年戊辰戦争の際、白虎隊士として出陣するも飯盛山で同志と共に自刃。偶然救助され唯一人蘇生した。後、白虎隊自刃の顛末を手記に残し、歴史の貴重な証言者となる。
1872(明治5)年逓信界に入り、電信技術者として九州から北海道にいたる全国の電信・電話網の架設に尽力した。この間、1894(明治27)~1895(明治28)年に日清戦争に出征し、朝鮮半島の軍用電信架設を成功させた。1897(明治30)~1904(明治37)年に仙台郵便局勤務、後、札幌郵便局を経て、1910(明治43)年に仙台逓信管理局工務部長となり、以降この地を終の住み家とした。
1913(大正2)年退官。従五位勲四等。1931(昭和6)年仙台にて没。享年78歳。
父方の叔母に会津藩家老西郷頼母妻千重子、母方の従兄妹に山川浩、山川健次郎、大山捨松がいる。
なお、この碑の隣に聳え立つ柏の木は貞雄が苗木を札幌から持ち帰ったもの。

・宮城県仙台市青葉区錦町1-1-35

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