柳瀬荘 (44 画像)
柳瀬荘は実業家、また茶人としても名高い松永安左エ門の別荘だったもので、5000坪を越える敷地内に武蔵野の面影を今にとどめる雑木林も残され、周辺の開発から一線を画した貴重な自然環境を保っている。1948(昭和23)年3月に東京国立博物館へ寄贈され、現在は週に1回一般公開されている。
荘内の主要建物である「黄林閣」は江戸時代・天保期の民家の特色をよく示すものとして1978(昭和53)年に重要文化財に指定された。荘内にはほかに書院造りの「斜月亭」や茶室の「久木庵」などが残されている。

●松永安左エ門(1875~1971)
電力事業に生涯を捧げ「電力の鬼」といわれた実業家。
長崎県壱岐の地主回漕問屋に生まれた。慶応義塾に学び、福沢諭吉の女婿福沢桃介と創設した石炭商から出発したが、日露戦争後より電力事業に情熱をそそぎ、九州に福博電気軌道会社、中京地区に東邦電力を相次いで創設させた。やがて中央財界へ進出して電力界の主導的立場にあったが、昭和13年に電力管理法が公布されて電力の国家体制に入ると、翌14年実業界を去った。第二次世界大戦後、今度は政府機関の要職に就いて9電力会社を発足させるなど、エネルギー産業再編成の方向を主導し斯界で大いに手腕をふるった。
松永は文化や芸術にも造詣が深く、60歳になったのを機に茶道に専念し、「六十にして耳順う」という論語の言葉より「耳庵(じあん)」の雅号を持った。また、美術工芸品の収集家としても知られ、昭和23年、多くの名品をこの柳瀬荘とともに東京国立博物館に寄贈し、さらに昭和34年小田原に松永記念館(現在は福岡市美術館等に寄贈)を開設するなど文化面で貢献されたことも知られている。昭和46年没、享年96歳。

埼玉県所沢市坂之下437
公式ホームページ

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