鶴岡八幡宮 (55 画像)
当宮は1063(康平6)年源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺の材木座にに祀ったのが始まりである。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝は、1180(治承4)年鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮(元鶴岡八幡宮)を現在の地に遷し、1191(建久2)年には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心とした。また、頼朝は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのある。以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まった。当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となった。現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れる。
「吾妻鏡」をはじめ「平家物語」や「義経記」などの軍記物語、「海道記」や「東関紀行」などの紀行、「とはずがたり」や「徒然草」、「金塊和歌集」など、各分野で多数の作品に描かれている。さらに近世、近代には数えきれないほど多くの文学作品に描かれており、実朝忌俳句大会やぼんぼり祭りなどの催しが開かれている。
現在の御本殿は、1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、1624(寛永元)年に修復された若宮とともに国の重要文化財に指定されている。深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝、実朝を祀る白旗神社をはじめとする境内社のほか、静御前が舞をおさめた若宮廻廊跡に建つ舞殿、源平池や段葛が800年を越えるの長い歴史を伝えている。

●御祭神
応神天皇
比売神(ひめがみ)
神功皇后

●鎌倉国宝館
●元鶴岡八幡宮

・神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
公式ホームページ

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