妻籠宿本陣 (41 画像)
妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務めた。馬籠の島崎氏とは同族で、幕末にも妻籠から「ぬい」が、馬籠の正樹(「夜明け前」の主人公青山半蔵)のもとに嫁いだ。7人の子どもをもうけ、末子が春樹(島崎藤村)だった。藤村の次兄広助は妻籠宿本陣の養子となり、最後の当主となった。その後、明治20年代に広助が東京へ出たため、本陣は取り壊され、その後御料局や営林署に使用されていたが、町に払い下げられたのを機に、平成7年に江戸時代後期の間取図を元に忠実に復元された。

●本陣最後の当主・島崎広助
島崎氏は相模三浦氏の出で、1513(永正10)年重綱の代に木曽家に仕え、1555(弘治元)年から妻籠に住んだ。1558(永禄元)年には、長男重通は馬籠に移り、次男重次は引き続き妻籠を守った。江戸時代には妻籠・馬籠とも、庄屋・本陣を勤めた。
本陣最後の当主島崎広助は、1861(文久元)年島崎正樹の次男として馬籠に生まれ、3歳の時母の実家妻籠宿の養子になった。長ずるに及んで広助は、御料林問題や水利権問題の解決に、木曽の先頭に立って奔走した。

●島崎正二郎(1913~2001)
島崎正二郎は、妻籠宿本陣の最後の当主広助の次男として生まれたが、長男重樹が早世したため島崎家16代を継いだ。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後安藤七宝店に勤務し、デザインを担当し、東京支店長を務めた。定年退職後も顧問としてデザインの指導にあたった。展示されている作品は、安藤七宝店の製品であるが、島崎正二郎がすべての製作に関わっている。
展示されている七宝(しっぽう)焼は正二郎の遺品で、島崎家17代征介の提供によるものである。

●七宝焼
七宝とは、金・銀・瑠璃・しゃこ・めのう・玻璃・真珠のことをいうが、七宝焼は、金属の表面に陶器の釉薬を焼き付けて装飾したもので、七宝のように美しいという意味で名付けられた。 わが国で七宝焼が盛んになったのは、朝鮮から新技術が導入された桃山時代以降のことで、江戸時代初期には特に流行した。明治に入って技術に改良が加えられ、無線七宝が完成した。 展示されている作品は、すべて安藤七宝店(名古屋市)の製品である。

●脇本陣奥谷

・長野県南木曽町2190
公式ホームページ

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