殿ヶ谷戸庭園 (107 画像)
大正4年に、三菱合資会社営業部長の江口定條(さだえ)がこの地に構えた別邸は、和様の折衷した別荘建築で、庭師「仙石」(仙石荘太郎)の作による庭で、随冝園(ずいぎえん)と称された。
江口家の建物は、当時流行のサンルームのような光を取り入れた居間など、大正期の典型的な和洋折衷の別荘建築だった。また庭は、武蔵野の自然景観を大切に考えて造られた。
現在、「随冝園」の扁額が本館内に保存されている。扁額の著名は「湯化龍」とあり、この書では「宜」の字は「冝」と書かれている。湯化龍は、清朝末から中華民国初期にかけての政治家で、1906(明治39)年に日本へ留学し、1912(明治45)年には、中華民国臨時政府の法制局副総裁に任命された。
江口は1906(明治39)年に三菱合資会社の鋼業部副部長として、清国視察に赴き、その後貿易など多くの事業が進められた。江口と湯化龍のつながりは明らかではないが、日本か中国のいずれかで揮毫されたものであると思われる。
1929(昭和4)年には、三菱の創業者、岩崎弥太郎の孫にあたる岩崎彦弥太が江口定條より母屋と庭園をそっくり買い取り、その後、津田鑿(さく)設計の本館が建て替えられたり、紅葉亭などの整備もなされて、和洋折衷の回遊式林泉庭園としての完成を見た。外観に素朴さと落ち着きのある和洋折衷の本館、端正な数寄屋造りの亭、そして、自然植生を活かした庭をもつ郊外型別荘である。岩崎家の敷地は、当初1万坪(約3.3ha)あり、芝生の西側にはプールがつくられた。
彦弥太はハンティングの趣味があり、猟犬を飼い、鴨も飼育していた。また、当園では畑や水田を耕作していた。こうした自給自足的な生活は、当時の別荘の利用形態の特徴のひとつである。
岩崎家別邸は1962(昭和37)年「殿ヶ谷戸公園」として都市計画公園の決定がなされたが、その後地元では国分寺駅南口の再開発計画が構想され、1972(昭和47)年には、都市計画公園の指定を解除して商業施設に変更されそうになる。
このころは、公害問題や自然環境の保全が叫ばれ始めた時代にあたり、地元住民は「殿ヶ谷戸公園を守る会」(会長上野直昭元東京芸術大学長)を発足させて、庭園の保存運動を展開した。
そして、「守る会」は、国分寺市腸、市当局と共に東京都に陳情、出席した副知事はカンパや預貯金の定時に驚き、「買うときは都のお金で買い上げます」と承知した。
そして、1974(昭和49)年に東京都は公園用地として、2.11haを36億4800万円で購入、一部周辺も加えた公園用地を確保して庭園を保存した。
開園当初も庭園の保存状態を維持するため、市民がボランティアで案内役を行い、団体見学のみで受け付けるなど、利用の制限をするための様々な方法を試行し、現在の形になった。
当庭園は、国分寺崖線(通称ハケ)と呼ばれる崖地を巧みに利用した回遊式林泉庭園である。本館前の広々とした芝生の開放感と、池を眼下に見下ろす亭からの眺望の緊張感が見事な調和を見せている。手入れの生き届いた植栽と、赤松やコナラなどの多様な自然植生が渾然一体となり、訪れる野鳥の声が絶えない。
春には身体中を緑に染める新緑、秋には華麗な紅葉に飾られ、景観を日々多彩に変化させている。
ハケからは、旧石器時代や縄文時代の人々が飲料水として利用していた清冽(せいれつ)な清水が湧きだして池を満たしており、春にはカルガモが雛たちを育てる光景が見られる。
残り少なくなった武蔵野の野草に、四季折々に出会えるのもこの庭園の楽しみの一つである。

○江口定條(1865~1946)
高知県生まれ。東京高商(一橋大)卒業。三菱合資会社長崎・門司各支店長などを経て営業部専務理事、南満州鉄道副総裁、貴族院勅撰議員。山を愛し、自然や武蔵野の地に愛着があったと言われている。

○仙石荘太郎
赤坂の庭師「仙石」は高橋是清邸庭園や八芳園などを手掛ける。

○岩崎彦弥太
1895(明治28)年生まれ。三菱の創始者・岩崎弥太郎の孫、三菱合資会社基社長・岩崎久弥の長男。1920(大正9)年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、一旦は大学院に進み、のちに英国留学。1925(大正14)年に帰国後、三菱合資会社に入社。1934(昭和9)年に副社長に就任。この年、殿ヶ谷戸に岩崎別邸を建築した。三菱本社の次期社長に嘱望されていたが、第二次世界大戦の敗戦による財閥解体政策のため、父・久弥らとともに財閥家族に指定されて全役職を辞任。1953(昭和28)年、三菱地所の取締役に就任。1967(昭和42)年没。

○国分寺崖線(ハケ)
多摩川が武蔵野台地を削り取って出来た段丘の連なり。この崖線は、国分寺市内から世田谷区を下って大田区の方まで延長約30kmある。
崖下には、地下水が地表に湧き出している所があり、園内の次郎弁天池にその清水を見ることができる。
本庭園を含め、周辺には貫井神社や「真姿の池」などハケの湧水が所々に見られ、これらはやがて野川へと流れていく。

・東京都国分寺市南町2-16
公式ホームページ

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