春風館・復古館(頼家住宅) (3 画像)
●春風館
春風館は頼山陽の叔父、頼春風の家である。春風(1753~1825、通称松三郎、名惟彊、字千歳)は大阪で医学と儒学を学び、1773(安永2)年帰郷し医業を開業した。1780(安永9)年には塩田経営に乗り出し、1781(天明元)年には春風館を建築。春風は家業のかたわら、学問にも力を入れ、町の子弟の教育にあたり、1793(寛政5)年には「竹原書院」の設立に努力し、竹原の文化の向上に尽力した。春風は兄春水や弟杏坪の出世と活躍の影で始終竹原にあたって家業を守り、春水没後その嗣子聿庵の後見役となり、藩から七人扶持を与えられ、御医師格となった。建物は天明元年建築のものが1854(安政元)年に焼失し、1855(安政2)年再建された。長屋門と玄関構えをもつ武家屋敷風の建物だけがドマを持っている。奥に祠堂として茶室を持ち数奇屋風の意匠に統一され、茶人不二庵の設計と伝えられている。

●復古館
頼春風の養子である小園は、春風館の西側に隣接して、「兼屋」と称し、1859(安政6)年に三男の三郎を分家、独立させた。これが復古館の主屋の建物で、春風館と同じく、茶人不二庵の設計によるものと伝えられる木造切妻造二階建、本瓦葺の数奇屋建築である。 大小路の通りに面した店棟は、明治16年の建築で、入母屋造二階建で、一階部分に広い土間をとり、店の間には「ぶちょう」(あげ戸)がそのまま残っている。みせ棟から母屋棟への空間がつぼ庭となり、その二棟をつなぐ玄関の間によりH型となっている。母屋の座敷より縁側で囲まれた庭の北側に、揚げ縁でつながれた茶室(祠堂=明治37年建築)がある。 敷地内には、幕末から明治にかけて酒造業を営んでいた頃の臼場・米蔵・室蔵・新座敷(現光本邸)が配されている。

・広島県竹原市本町3-7-24
公式ホームページ

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