正雪紺屋 (8 画像)
表に蔀戸(しとみど)を残すこの紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より400年近く続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶(あいがめ)等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができる。
慶安事件で有名な由比正雪は、この紺屋の生まれといわれているところから、正雪紺屋の屋号がつけられている。

●由比正雪の乱
1651(慶安4)年4月、3代将軍家光が死去すると、その7月、由比正雪らにより幕府転覆が企てられた。世にいう慶安事件である。
7月29日を期して、江戸、駿府、京都、大阪で一斉に事を起こし、全国の浪人を蜂起、糾合。正雪は、久能山において東西の指揮にあたるという壮大な計画であった。
しかし、直前に訴人する者があり、計画が露見。7月26日、由比正雪は駿府城下の梅屋で同志と共に自刃し果てた。
残された遺書には、「今の幕府の政治には、多くの者が困っている。人を集め、事件を起こすことで、心ある人にこのことを知ってもらい、政治を改めさせようと思った。」との旨が記されていた。
幕府は、この事件を重く見て、浪人の取り締まりや、大名の取りつぶしを緩め、浪人の救済にあたった。

●由比正雪の祠
当家は代々紺屋を営み、正雪の生家と言い伝えられている、正雪は、自刃直前、同志にある品物を托した。それは、当家の屋敷裏に埋められ、江戸時代が終わるまでひそかに供養されていた。
明治になり、掘り出そうとしたところ、手をかけた者が全員熱を出したため掘り出しを中止した。その跡に祠を建て現在に至る。
それ以来、当家は屋号を「正雪紺屋」とした。

●由比本陣公園
●御幸亭

・静岡県静岡市清水区由比672-1
公式ホームページ

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