渋川問屋 (4 画像)
七日町通りは大町四つ角を起点とする会津五街道のうち、越後、米沢の両街道が通っていた。通りの西、阿弥陀寺付近には、町の玄関である木戸が設けられていた。
会津に入る海産物は越後街道を通って渋川問屋に着いた。ここから会津一円へと海産物が運ばれた物流の基地だったのである。現在の建物は明治期に建てられたもので、外観は往時のままである。 当時の海産物は塩物や乾物が主で、「棒たら煮」「ニシンの山椒漬け」などの郷土料理を生んだ。
明治38年渋川家の長男に生まれた善助は、幼い頃から秀才のほまれ高く、陸軍士官学校時代には御前講義を行っている。昭和11年陸軍の青年将校の反乱二・二六事件に民間人として加わり処刑された。善助が青春期を過ごした部屋は、作家三島由紀夫が「憂国の間」として名付け、今も残されている。

・福島県会津若松市七日町3-28
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