佐藤家(本家玉屋) (2 画像)
第77代後白河天皇の第2皇子以仁王が1180(治承4)年5月、平家追討に失敗、東海道から甲斐信濃の山路を越え、上野(こうずけ)栃木県から桧枝岐に出られ、当時山本村と呼ばれていた大内にお着きになり、宮(以仁王)が草鞋を脱がれたという由緒ある家である。
以来、高倉神社の永代御頭家として半夏祭の神輿の渡御に当たっては、当家に休息される名誉ある家柄である。当家には高倉以仁王が治承4年に宇治平等院の敗戦以来、大内村にたどり着くまでの以仁王の伝記が今なお保存されている。
昭和56年4月18日、重要伝統的建造物群として大内宿が国の指定を受け、昭和58年6月修景復元された家である。

●大内宿

福島県南会津郡下郷町大内山本6

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