桜田山神社 (23 画像)
山神社は、人皇第25代武烈天皇に仕える狩野掃部之祐及び久我大連の両名が西暦506年12月8日天皇崩御の後、故あって東駒形山の麓に巡礼に参り天皇を追想して御影を建社し、これを山神社と尊称した。明治12年6月に村社に列し、同41年12月に桜田中屋敷の八幡神社を合祀する。大正15年7月幣帛供進社に指定される。社殿は、天喜及び天正の時代と明治16年に火災に遭遇した。特に明治時代の火災の際は、拝殿と古文書等が焼失し本殿と社額(文化10年制作)のみが残った。地区内外の氏子・崇敬者を始め多数の信者の寄進により、白木流造りの彫刻付き(唐棟風)、御拝柱は勾欄付き、天井は絵で装飾(絵は寛政3年制作)の神明造りの拝殿を大正13年10月に起工し、大正14年4月に完成した。社殿は、昭和61年10月に栗駒町有形文化財(平成17年4月には栗原市有形文化財)の指定を受けている。また、境内地内には、「親子桜」・樹齢二千年(大正4年5月30日発行の宮城県林業資料参照)の「子桜」が立っており、歴史的に価値ある樹木として氏子から保存菅理されている。また、栗駒町有形文化財の指定受けている「桜田ばやし」は、山神社の春の大祭時に奉納し、各方面から多数の見物者が来訪して五穀豊饒・無病息災等を始め古来からの安産の守護神として信仰を集めている。
また、お笑いタレントの狩野英孝の実家であり、彼のギャグである「ラーメン、つけメン、僕イケメン」に因んで「イケメン神社」とスポーツ新聞等で書かれることがある。
2008(平成20)年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震では甚大な被害を受け、神社も狩野の自宅も一部損壊した。300年前に建立された栗駒石の本鳥居(6m)は根本から折れ、参道上で砕け散った。巨大な石の灯籠も倒れ、社殿も土台にヒビが入り、木造建築部分も大きなゆがみが出た。宮城県沖地震(1978年)でも無事だった神社は過去にない大被害を受け、被害は本鳥居の復旧に150万円、社殿や大鳥居などの修繕に150万円、合計300万円に上ったが、鳥居は地元住民の寄付で新たに奉納された。残る150万円は蓄えから捻出し、復旧した。


●祭神 小長谷若雀命 譽田別命
●春祭 4月12日
●例祭 9月12日

宮城県栗原市栗駒桜田山神下106
宮城県神社庁
岩手・宮城内陸地震被害状況(宮城県神社庁「お知らせブログ」より)

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