森鷗外旧宅(森鷗外記念館) (30 画像)
森鷗外(本名森林太郎)は1862(文久2)年1月19日この家に生まれ、1872(明治5)年に10歳で上京するまでここで過ごした。その当時の様子は作品「ヰタ、セクスアリス」の中にも描かれている。
鷗外は、軍医総監陸軍省医務局長、帝室博物館総長兼図書頭となる一方、文学者としても活躍し、明治大正を代表する文豪として夏目漱石と並び称されている。死に臨んで「余は石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言し、1922(大正11)年7月9日60歳で永眠した。
建物は1854(嘉永6)年に発生した大火の後に建てられたものと伝えられ、森家が東京へ移住した後、別の場所へ移築されたが、1954(昭和29)年鷗外33回忌を機に町へ寄付され、この場所へ戻された。その後、昭和60年に大規模な保存修理を行い現在に至っている。また、庭先の詩碑は、鷗外の「扣鈕(ぼたん)」の詩を佐藤春夫の筆により建立されたものである。
1995(平成7)年にはこの旧宅に隣接して森鷗外記念館が開館し、鷗外の生涯と功績を顕彰している。

・島根県鹿足郡津和野町町田
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