中津川村庄屋居宅(曽我家住宅) (3 画像)
屋根に取り付けられた「卯建(うだつ)」があるこの建物は、江戸時代は中津川村の庄屋を勤めた肥田家が所持し、構造体の部分は江戸中期にさかのぼると想定される。
肥田家は代々「九郎兵衛」と名乗り、旧中津川村の庄屋・脇本陣を務めたこともあった。屋号は田丸屋といい、島崎藤村の「夜明け前」には小野三郎兵衛として登場している。
江戸の後期から旅籠(旅館)を経営し、1893(明治26)年には、恵那山を登ったウェストンが宿泊している。
明治30年代になると曽我家がこの建物を譲り受け、中津川で最初に開業した医院となった。
以後、曽我家が大切に建物の保存管理に努め、現在市有形文化財(建造物)に指定されている。

・岐阜県中津川市本町2-6-44
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