村上精華堂 (10 画像)
村上精華堂は、台東区池之端、不忍通りに面して建てられた化粧品屋である。1928(昭和3)年に創業者の村上直三郎により建てられ、化粧品の製造・卸し・小売りを行っていた。戦後も2代目の村上専次郎が商売を続けていたが、1967年に増淵忠男に譲渡され、以降は中華料理店などを営む「日増屋」として利用されてきた。
村上直三郎はアメリカの文献を研究し、各種の化粧品を製造したといわれている。そのためか、イオニア式風の柱を持つ西洋風の建物が化粧品屋に相応しく、選択されたのであろう。
戦前、化粧品は薬事法の適用外だったとのことで、多くの化粧品会社が製造・販売を行っていた。村上精華堂では、神田近辺の店から原料やガラスビンを仕入れて、奥の作業場で化粧品を作っていた。化粧品により製法はまちまちであるが、各種の油やロウ、酸、香料などを調合し、煮沸・攪拌(かくはん)し、冷却することが多い。ビンに詰めたり、ものによっては缶入りで出荷する。 1932年当時、製造していた化粧品は、志のぶポマード、精華堂香油、精華クリーム、パミールバニシングクリーム、パミールコールドクリーム、香水などである。小売り値は、例えばパミールコールドクリームは、1個80銭であった(「東京小間物化粧品詳報」より)。この頃は卸し売りが中心であったが、小売りも行っていた。
台東区浅草向柳原にあった支店が、1942年からは本店となり、戦後は、化粧品作りもそちらが中心となっていった。そして1955年以降は、この家では化粧品作りは行われず、2・3階を間貸ししたり、親戚が別の商売に利用したりしていた。
このようにして、化粧品屋としての歴史を閉じた村上精華堂であるが、専次郎の子息の方々の協力により、昭和10年代、化粧品屋の本店であった頃の再現を行うことができた。
当園5番目の「看板建築」の見どころは、大胆な和洋折衷と個性的なファサードである。村上精華堂もまた、洋風の全体像に寄棟造り桟瓦葺きの和風屋根および3階のバルコニーの意匠といった組み合わせが、和洋折衷の性格を示している。
建物の外観は、イオニア式の列柱を並べたファサードがきわめて特徴的である。西洋建築の原初であるギリシャ・ローマ建築では、「オーダー」と呼ばれる構成原理に基づいて建築物が作られた。オーダーの種類は大きく3つの種類(「ドリス式」、「イオニア式」、「コリント式」)があり、イオニア式オーダーは、明治期以来、正規の建築教育を受けた建築家たちが、こぞって作品に用いたものであるが、村上精華堂のような「看板建築」に見られる例は珍しい。柱の間隔やプロポーション、素材などの点において、本格的な西洋建築の意匠とはかなりの差異があるが、そのことがむしろ、自由な創造意欲のあらわれとして、建物に独自の魅力を与えている。とくに柱頭の端部が側面に突き出た様子は、この建物が「看板建築」の血統上にあることを示している。

※ファサード・・・建物の正立面。

・東京都小金井市桜町3-7-1
公式ホームページ

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