旧諸戸邸(鎌倉市長谷子ども会館) (4 画像)
この建物は、関東大震災により壊滅的な被害を受けた鎌倉に残る明治期の建築物として非常に貴重な存在である、明治期の建物は、それ以降の建物と比較して外観の造形意匠が華やかなのが特徴であるが、この建物はその中で秀逸なものと高く評価されている。
この建物は、横浜・戸塚出身の株仲買人、福島浪蔵の別邸として明治41年に建築された。
創建当時は、現存の洋館の北側及び東北側に和風棟も建てられ、 広大な敷地には庭園が設けられていたと考えられる。
大正10年に三重県桑名出身の富豪、二代目諸戸清六別邸となったが 大きな改造はなかったものと考えられる。
関東大震災にも建物は健在で、震災時の救療本部としても用いられていた。
昭和11年に4男の民和に贈与され、戦時中は一部接収を受けたらしいが その後も諸戸邸として用い続けられた。
昭和51年に所有権は諸戸産業に移り、宅地分譲が行われ、一部が昭和55年に鎌倉市に寄贈されたが、このときには現存の建物の北側、南側にあった和館はほとんど姿を消していた。
また、現在住宅地となっている建物周辺の一帯は庭園であったといわれている。建物と背景の丘陵が調和した風景は、この地域が近代に別荘地として栄えた文化・記憶を今に伝える貴重な存在である。
この年、市は、プレールーム等に用いる木造平家を増築し、子ども会館としたが、 残されていた洋館部分は旧状に復する補修程度で当初の姿が残されている。

●特徴
この建物の特徴は、内外観の華麗な細部意匠にある。
外観の意匠の華麗さは、バルコニーに集中的に現れている。
バルコニーは、1・2階とも2本の独立円柱と2本の半円柱付柱を備えているが、 1階はドリス式オーダー、2階は、イオニア式オーダーが用いられている。
1階のドリス式オーダーの柱頭付近と、アーキトレーヴの中央と左右にはメダリオン飾りがつけられ、フリーズにはパテーラがつけられている。
2階には、イオニア式の柱頭、フリーズのアールをもつ隅部分にはパルメット文様の装飾、 そしてコーニス下端の持ち送りなど、大変デコラティブな雰囲気が醸しだされている。
さらに加えて、2階の鋳鉄製手すり、バルコニーに開く1・2階共のドア枠と窓枠のクラシックな装飾など、全体として極めて華麗である。
特に、中央のドア廻りの装飾は見ごたえがある。
また、窓もコーニス、持ち送りも含めて、大変クラシックな造形がなされている。
そして、この窓の造形は、バルコニーから左右のファサードへと連続していて、 建物全体に統一的なイメージが与えられているのである。
刳形も複雑な形をよく残しており、まさに明治期の建物でしかありえない手の込んだ造形意匠である。
内部もまた大変クラシックな意匠をとどめており、階段の親柱や手すり子、 天井コーニスの刳形や垂れ飾り、天井の中心飾りやコーニスの漆喰装飾、 各室で文様を変えるフローリングなどがそうであり、これらもまた明治でしかありえない造形である。
なお、暖炉のマントルピースの造形はこれらに比してやや簡素である。
以上のように、鎌倉市長谷子ども会館は、大正期や昭和初期の建物には通常見られない大変手の込んだクラシックな意匠を内外部にとどめている。
その造形密度は、規模のわりには過剰とも思えるほど賑やかであり、 18世紀イギリスのアダム様式をも思わせ、ややロココ的である。
この規模にして、これだけの造形密度の濃さは、大変珍しいものである。

・神奈川県鎌倉市長谷1-11-1
公式ホームページ

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