金子みすゞ記念館 (44 画像)
みすゞ生誕100年に当たる2003(平成15)年4月、みすゞが幼少期を過ごした金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」がオープンした。
この記念館は、没後50余年を経て甦ったみすゞの足跡をたどり、その業績を顕彰する記念館であるとともに、地域の人々や全国から訪れるみすゞファンの文化活動・創作活動を支援するための交流拠点でもある。
みすゞ通りに面したおもてに金子文英堂の建物や庭を復元し、その奥の本館棟は、遺稿集や着物などの遺品を展示した常設展示室、パソコンによる資料の検索室、みすゞの詩の世界を音と光で体感できるみすゞギャラリーなどを備え、みすゞの生涯や生きてきた時代を偲ぶことができる。

●金子みすゞ
「赤い鳥」、「金の船」、「童話」などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞである。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれた。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったという。 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からであった。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、「童話」の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていった。
ところが、その生涯は決して明るいものではなかった。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続いた。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまう。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまう。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになった。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けている。

・山口県長門市仙崎1308
公式ホームページ

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