村田清風旧宅「三隅山荘」(村田清風記念館) (52 画像)
村田清風は、1783(天明3)年この地に生まれ、1808(文化5)年、26歳の時藩主毛利斉房の小姓役に取り立てられより、1855(安政2)年にいたる50年間、藩政の枢機に参与した。特に13代藩主毛利敬親に抜擢登用されて長州藩天保改革の第一人者として活躍したことは名高い。
この旧宅は、清風がこの地に誕生して19歳まで起居成長した所で、その後は主として萩(平安古の別宅)に住んだが、旧宅を自ら三隅山荘と称し、暇あるごとに帰省していた。晩年帰任し、63歳から73歳まで生活、横井小楠、僧月性、吉田松陰、赤川淡水等多くの政客が往来した。
この旧宅は道路側中央に木戸門を設け、母屋の北側は広い庭があり、樹齢180年の五葉の松が豪雪の被害にもかかわらず、今も静かに山荘を見守り往時を偲ばせている。また、道路に沿って籾貯蔵庫、厩(馬屋)、納屋が並び、母屋南側には井戸や風呂場を設けている。この旧宅の創建は史跡指定の沿革説明では、清風誕生の前年1782(天保2)年とある。確かな資料がなく不明であるが、天明年間には建てられていたものと思う。
旧宅の母屋は茅葺として敷地内には、籾貯蔵庫や厩(馬屋)が置かれているなど、外観は一般農家と差異はないが在郷武士の武家住宅としての要素を備えている。妻入りの建物の表側には、簡素な式台を構えた玄関が、その隣に土間床の家人用脇玄関を設けている。式台付き玄関を入ると控の間、床を備えた座敷へと続く一連の接客空間をなす構成は、武家住宅の特徴である。座敷の奥の奥座敷は、清風の書斎と寝室を兼ねた部屋と思われる。また、この座敷と奥座敷の土壁は色土塗り仕上げとし、他の部屋よりも格を高めているのも特徴である。母屋の裏側全体は家人の居住空間が続いている。
旧宅はこのように、母屋中央を境に表側を接客空間、裏側を居住空間とする武家住宅の平面構成をなしているが、土間など作業空間的な部分は農家の様式により近いといえる。

●村田清風の墓

・山口県長門市三隅下2510-1
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system