杉私塾 (6 画像)
こちらの建物は明治維新前後に増築されたもので、ちょうどその頃、吉田松陰の実兄である杉梅太郎(のちの民治)が滞在しており、塾を開いて青年を教授していたこともあったと昭和8年版山口市史に記述があることから、「杉私塾」と呼ばれている。
梅太郎(民治)は、杉家の惣領として2歳下の弟、松陰への援助を惜しまず、松陰が罪を得た際にも牢獄への書物の差し入れを欠かさず、その勉学を支えた。
一方で、彼自身優れた藩吏として活躍しており、その才能は民政面において大いに発揮された。その功績は藩内に知れ渡っており、明治2年には、藩主から「民治(みんじ)」の名を賜わる。
また、職を辞して萩に帰ってからは、松下村塾を再興したり、修善女学校の校長を務めるなど子女の教育にも力を注いだ。
山口での生活については、市史以外には文献などが残っていないためわからないが、藩庁への出仕のかたわら、近所の青年に請われて漢籍などを教えていたのであろう。
また同じ頃、妹の文は山口の御殿に出仕していたため、兄のもとを訪れることもあったのかもしれない。

●十朋亭

・山口市下竪小路112-1

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