松阪家住宅 (36 画像)
この建物は、江戸時代から昭和にかけて竹原塩田の所有者の家である。入母屋造り、平入り、間口七間の木造つし二階建の主屋の裏側に、平行にもう一棟、本瓦葺の建物とその二棟を直角の角屋でつないだ、表屋造りとなっている。
建築は江戸末期の文政年間(1820年頃)のものを1879(明治12)年に全面的な改造を行い、現在の形となった。「てり・むくり」をもった波うつような独特の大屋根、その下のうぐいす色の漆喰、大壁造り、塗込めの窓額つき菱格子の出窓、ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋、彫をもった出格子、与力格子など、非常に華やかな建築意匠である。座敷は全体が数寄屋風の意匠で統一されている。初代は1674(延宝2)年広島から移住、沢田屋と称して塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、塩田経営、廻船業、醸造業と多角経営を行うかたわら、下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるとともに文化活動を行った。

・広島県竹原市本町3-9-22
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