旧安田楠雄邸 (100 画像)
旧安田楠雄邸庭園は、本郷台地上の北側、かつてはいくつかの銀行の頭取などが居を構えたことから「銀行通り」とも呼ばれた通りに面した場所にある。敷地は東西に細長く、雁行式に建てられた邸内の各部屋から南側の庭園を望むことができる。大正時代から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を伝え、貴重な価値があるとして、1998(平成10)年3月に東京都の名勝に指定された。
この建物は、「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎が1919(大正8)年に建築したもので、旧安田財閥の創始者・安田善次郎の女婿・善四郎が大正12年に買い取り住んでいた。1995(平成7)年に当主の楠雄が亡くなったあと、幸子夫人が市民団体「文京歴史的建物の活用を考える会」の助言を得て、1996(平成8)年8月22日に建物と庭園を公益財団法人日本ナショナルトラストに寄贈したものである。
邸宅部分は、新旧の技術を巧みに取り込んで建てられた近代和風建築である。関東大震災、第二次世界大戦などの被災も免れ、創建当初からほぼ改造されることなく大切に住み継がれ、今日までその姿を伝えている。
邸内唯一の洋間である応接間には修復された家具調度が置かれ、当時の生活の様子がうかがえる。そして残月の間へと続く畳廊下は、奥行きの長い建物の特徴をよく示している。
残月の間の床の間は、京都・表千家の残月亭を写したもので「残月の床」と呼ばれている。毎年、安田家から寄贈された雛飾りや五月飾りを残月床に飾り、季節の行事も行っている。
台所は楠雄が結婚した際に、嫁いだ幸子夫人のためにその当時最新であった「アイランド型」配置のキッチンへと改造された。当時の面影を伝えるガスレンジや木製の冷蔵庫、蝿帳(はいちょう)などが今でも残されている。
2階の書院造の客間は邸内で最も格式が高く、緑豊かな庭園も見渡せる。
庭園は、各部屋から座って眺めるための造りとなっており、それぞれに違った趣の景色を楽しむことができる。創建当初はアカマツを中心とした枯山水の庭に園路を設け、芝生を取り入れた和洋折衷の造りであり、この時代の庭園の特徴を兼ね備えたものとして邸宅と共に高く評価されてきた。
現在は、枯山水の石組みやカヤ、カシワの大樹が創建時から受け継がれ、庭園の重要な要素となっている。

・東京都文京区千駄木5-20-18
公式ホームページ

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