光明寺 (8 画像)
京都本願寺の8代目蓮如上人の弟子であった釈正善が、大永年間(1521~1528)に豊浦郡西市(現在の下関市豊田町西市)に堂を建てたことに始まるとされている。その後、内日、幡生を経て、1732(享保17)年に当地へ移転した。
幕末、長州藩が関門海峡で攘夷を実行した際(「攘夷戦争」)には、中山忠光、久坂玄瑞率いる「光明寺党」の本拠となった。1863(文久3)年5月10日、久坂玄瑞ら「光明寺党」は亀山八幡宮下から萩藩軍艦「庚申丸」に乗り込み、米船「ペンブローク」に向けて砲撃を開始。まさに、彼らの砲撃が攘夷決行の第一砲となったのである。
なお、儒学者・医者など様々な身分の人々で組織された「光明寺党」は、後に高杉晋作が結成する「奇兵隊」の母体となった。

・山口県下関市細江町1-7-10
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system