弘道館 (119 画像)
旧水戸藩の藩校である弘道館は、徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして開校された。
弘道館の建学の精神は、1838(天保9)年に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されている。弘道館は、1841(天保12)年8月に仮開館式が挙行され、さらに15年余の年月を要し、1857(安政4)年5月に本開校式の日を迎えた。
弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で卒業はなかった。学問と武芸の両方が重視され、文館では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武館では剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多様な科目が教えられていた。
その後、幕末の動乱期を経て1872(明治5)年の「学制」により弘道館は閉鎖され、県庁舎や学校の仮校舎として使用された。幾度の戦火を免れた正門、正庁及び至善堂は1964(昭和39)年に国の重要文化財に指定され、往時の姿を今に伝えている。

●鹿島神社

茨城県水戸市三の丸1-6-29
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