西田幾多郎旧宅 (7 画像)
西田幾多郎は、明治から昭和にかけての三時代にわたって、我が国の思想界をリードした哲学者である。生涯を思索にささげて西田哲学の名で呼ばれる独創的な哲学体系をきずいた。
明治3年5月19日に、石川県河北郡宇ノ気町で生まれ、東京帝国大学文科大学(東京大学文学部)哲学科を卒業後、石川尋常中学、第四高等学校勤務を経て、明治30年9月山口高等学校勤務となった。 当時の山高には、河上肇、西田博太郎(ひろたろう)、片山正雄、徳田文作、鮎川義介、大村充等後年広く名が知られるようになる在学生がいた。
山口では米屋町・相良小路を経て、この地、下竪(しもたて)小路45番地の岡部氏方に居住し、明治32年7月金沢第四高等学校に転任するまで居住した。
西田は、よく近くの名所・名刹を訪れ、自然と親しんだが、当時の山口派日本で最初にザビエルによってキリスト教の伝導が行われた「大道寺跡」が明治26年頃、ビリヨン神父により発見されたばかりであり、また当時、バイブルを読んで大変感銘を受け、キリスト教に関心を持っていたようである。
西田は、山高の北条校長の影響により、明治30年頃から京都の妙心寺で参禅をしていたが、山口時代に宗教的関心を強く持つようになったことにより、精神的転換がなされたようである。
昭和3年8月、京都大学定年退職。同15年文化勲章受章、昭和20年6月7日没、享年75歳。
墓は、鎌倉・東慶寺、宇ノ気町・長楽寺、京都・妙心寺の3ヶ所にある。

・山口県山口市下竪小路45

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