勝川家 (8 画像)
勝川家は江戸時代のはじめ屋号を松屋といい、材木や年貢米を扱う藩内でも有数な商家であった。 主屋は江戸後期の建築と推定される。当初は2棟の建物を1棟に改造して使用していたが、復原工事により2棟に戻した。主屋(一)は、間口5間半、通りニワ式二列五間取りで、1階の跳ね上げ大戸、蔀戸は復原した。主屋(二)は、間口3間半、当初は通りニワ式一列四間取りであったが、主屋(一)にあわせて一番南の部屋を切って縁側を設ける改造が行われたと思われる。
離れは昭和初期の建築で、岩村には珍しい書院風の建物である。裏手、蔵にはさまれた荷駄の通用門をくぐると、その昔、3000俵の米を納めたと言われる米蔵が扉をつらねている。
又、各地にある松屋山と呼ばれる勝川家所有の山林より伐り出された銘木を保管する木蔵があり、繁昌した城下町商家の姿を今に伝えている。
当時は岩村藩御用を亨け、藩財政に大きく貢献し藩の重役、藩士の出入りも多かったと言われている。
離れの内装の一部、土蔵には、明治になって岩村城の建物や用材が払い下げられたものもあると伝わる。

・岐阜県恵那市岩村町317
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