鈴木貫太郎記念館(鈴木貫太郎邸跡) (12 画像)
終戦時の内閣総理大臣として活躍した鈴木貫太郎(1867~1948)の業績を広く紹介するため、財団法人鈴木貫太郎記念会により、1963(昭和38)に旧宅の隣に開館した。その後、関宿町に移管され、現在は野田市教育委員会が管理している。
館内には、白川一郎画「最後の御前会議」をはじめとした、鈴木貫太郎の事跡を偲ぶための6枚の油彩画や、書簡類や戦後の日記、トランプやソファなど愛用の品々が展示されている。
鈴木貫太郎は、終戦処理の大任を果たした後の昭和21年9月、郷里関宿に帰った。
時に80歳であり、且つ二・二六事件の時には、数発の銃弾を身に受け、その内の一発は体に残っていたが、矍鑠(かくしゃく)としていた。
鈴木はこの地に農事研究会を発足させ、青年を指導し、将来酪農を農業経営に採り入れていくべきことを助言していた。
「酪農の町関宿」の基礎は、鈴木がきずいたといっても過言ではない。
昭和23年4月16日、「永遠の平和」の一語を残し、81歳で大往生した。

・千葉県野田市関宿町1273
公式ホームページ

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