観瀾亭 (38 画像)
この建物は、文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で江戸品川の藩邸に移築したものを、2代藩主忠宗がこの地に移したものと伝えられている。
建物は、東西に向き京間18畳2室からなり、四方縁をめぐらした簡素明快な建築である。
床の間の張付絵や襖絵は、壮麗な極彩色で描かれており、柱間1間6尺5寸の京間であること、軽快な起(むく)りを持つ屋根からして、桃山時代の建築であると考えられている。
藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれたが、公式な記録によると藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡検使等の諸国巡回の際の宿泊および接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていた。
この亭を「観瀾亭」と命じたのは4代藩主吉村で、廊下の額は江戸中期の書家佐々木玄龍の筆で、次の間と欄間にかけてある「観瀾」の2字は7代藩主重村によるものである。 江戸時代の終わりまで、この敷地内には藩主等に随行する侍の部屋、台所、馬屋など11棟あまりの建物が存在しており、観瀾亭はその中で一部分が現存しているもので我が国でも貴重な建物である。
併設の松島博物館には、伊達家の大名道具や生活用品等を陳列している。

・宮城県宮城郡松島町松島字町内56
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