鎌倉文学館(旧前田家別邸) (37 画像)
この建物は、昭和11(1936)年旧加賀藩主前田家第16代当主前田利為(としなり)氏が建築したもので、相模湾を見下ろす谷戸の中腹に位置しており、当時の鎌倉の別荘建築を代表する建物の一つである。ノーベル平和賞受賞の佐藤栄作元首相が別荘として利用したほか、作家三島由紀夫の小説「春の雪」の一場面として登場している。昭和58(1983)年7月、前田家より鎌倉市が譲り受け、昭和60(1985)年11月に鎌倉文学館として公開された。平成12(2000)年4月、国の登録有形文化財となった。

●「聴涛(ちょうとう)山荘」と「長楽山荘」
前田家の別邸は、明治23年頃、第15代当主の前田利嗣氏が土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことにはじまる。この館は明治25年、「涛(なみ)」を「聴」く「聴涛山荘」と命名された。明治43年、「聴涛山荘」は類焼により焼失し、洋風に再建される。大正12年、関東大震災で倒壊し、後に建て直される。新しい別邸は、鎌倉時代、長楽寺があったことから「長楽山荘」と名付けられた。さらに、第16代当主の前田利為氏が改築し、昭和11年、今に残る洋館が完成する。

●デンマーク公使と佐藤栄作首相
第二次世界大戦後、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が別邸を借り、別荘として使用していたこともある。佐藤氏は別邸の近くに住んでいた川端康成と交流を深めた。その時代に、鎌倉文士の小林秀雄や永井龍男もここを訪れている。
さらに、三島由紀夫は執筆のために別邸を取材し、小説「春の雪」にこのように描いた。

「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。(中略)先代が建てた茅(かや)葺(ぶ)きの家は数年前に焼亡し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の庭園に改めた。」
「春の雪」より 『決定版三島由紀夫全集』13 新潮社

●鎌倉文学史話会と文学館建設懇話会
昭和50年、鎌倉市内の有志により、鎌倉の文学を研究する「鎌倉文学史話会」が発足。史話会は、文学館を設立のため、様々な活動を行った。昭和56年、鎌倉市は文学館の建設の検討をはじめ、作家の里見弴や、今日出海、小林秀雄、永井龍男、清水基吉らによる「文学館建設懇話会」を発足させる。昭和58年、旧前田侯爵家別邸が鎌倉市へ寄贈され、文学館として利用されることが決定した。

●鎌倉文学館開館
昭和60年10月31日、鎌倉文学館開館記念式典が行なわれた。初代館長の永井龍男は、「文学、文学と肩ひじをはらずに来ていただいて、興味をひいたら、ついでに展示物を見ていただき、研究という大げさだが、文学というものをご自分の生活に消化して身につける。これが文学の味わいの根本だと思う。」とあいさつした。11月1日、鎌倉文学館は、一般公開された。現在、多くの文学資料を収蔵し、常設展や、企画展をはじめ様々な活動を行っている。

・神奈川県鎌倉市長谷1-5-3
公式ホームページ

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