中島治平旧宅跡 (3 画像)
中島治平は、1823(文政6)年、萩藩の朝鮮通詞中島正貞の長男に生まれた。
1856(安政3)年、長崎に留学し、語学、理化学、冶金(やきん)学を学んだ。また、コレラの予防法を伝えたため士籍に列せられた。萩に帰ったあと、藩主に製鉄、綿羊の飼育、製茶、ガラスや兵糧パンなどの製造の必要性を説き、1860(万延元)年、萩の南園にガラス製造所を設けた。また1861(文久元)年には萩城内で、長崎で購入した蒸気機関車の模型(萩博物館に現存)を走行させている。 1866(慶応2)年、萩藩が西洋の科学技術の研究のために設立した舎密(せいみ)局の総裁になったが、同年12月28日この地で病死した。享年44歳。

・山口県萩市浜崎新町

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