植村邸 (7 画像)
植村邸は、建物の前面を銅板で覆った看板建築である。この建物は旧所有者である植村三郎自らが設計したもので、2階は和風の造りになっているが、全体的には洋風にまとめられている。正面を覆う銅板は装飾的に仕上げられ、特に2階の窓の上にあるアーチ部分の飾りは凝ったもので、その中央はローマ字の「U」と「S」を重ねたようなデザインとなっている。これは「植村三郎」のイニシャルか、1階4畳半にある金庫の内扉に書かれた「植村商店」をあらわすものであろう。
植村は若い頃に、現在の中央区銀座に本店を構えていた老舗の時計店で働いていた。この時計店は後に貴金属も扱ったようで、ここでの経験が、1階の金庫から見つかった包装紙にあるような商売を営むきっかけとなったものと思われる。
そもそも、時計や貴金属を扱う商売というものは、現在のように店内にショーケースを並べて販売するという形態ではなかった。自分の扱っている商品を直接得意先へ持ってゆき、その客が気に入ったものがあればその場で販売し、なければ先方の意向を聞いて、馴染みの職人に作らせて販売するという方法であった。植村もこのようなスタイルで、包装紙に見られるような各種の商品を販売していた。得意先は時計店で働いていた時に築き上げていったようで、中にはかなり裕福な家もあったという。植村の販売する貴金属品には、自身が職人ではなかったにも関わらず、必ず「植村作」と刻まれていたという。
この植村邸を建てるにあたって、植村は相当時間をかけたそうである。特に建物の前面を作るにあたっては、その仕事を任された職人が現場で銅板を加工しながら少しずつ作業を進め、数年がかりで作り上げたものであるという。現在、その銅板には、1階の台所部分を中心に多数の穴があいている。これは、戦時中の空襲によって被害を受けたものであり当時の様子を今に伝える貴重な資料である。
植村邸は、武居三省堂、花市生花店に続いて移築された、当園3棟目の看板建築である。先の2建築に比べると間口が広く、平面形状はほぼ正方形に近い。敷地面積に対し、みせ部分の面積の占める割合が低いうえに、台所が正面側にあるのも他の看板建築にない特徴で、これはおそらく建設当時から店舗販売を行っていなかったことに関係すると思われる。
一方、建物のファサードは全体が銅板で覆われており、年月と共に生じた緑青(ろくしょう)が重厚な外観を形づくる。軒下のデンティル、中央頂部の装飾、2階窓外の刎高欄など、さまざまな細工が銅板職人の精緻な技術を示す。
ファサードの2階以上を左右対称とし、1階部分を非対称とする構成は対面する花市生花店と同様で、仕立屋に代表される伝統的な出桁造りの延長上にある特質といえる。さらに植村邸の場合、側面の勝手口→台所の窓→玄関という順に庇の高さを高めていく手法が効果的で、1階の外観に動的な印象を与えている。設計にあたったのは施主自身であるが、既に失われた建築も含め、都内の看板建築の中でももっとも完成度の高いものの一つであろう。
みせと居住空間との境界に見ることができる香の図組子の摺りガラス戸や菱組欄間など、内部装飾にも見るべきものが多い。施主自身のデザイン意欲と施工にあたった職人の技が建物全体にあふれている。

※デンティル・・・元来はギリシャ・ローマ建築に用いられたものであるが、和風建築の垂木の木口に似ていることもあってか、明治期以来、和洋折衷の建築などに、しばしば好んで用いられる。語源はラテン語のdens(歯の意)。

・東京都小金井市桜町3-7-1
公式ホームページ

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