本行寺 (12 画像)
日蓮宗本山池上大坊本行寺は、日蓮宗の宗祖である日蓮上人が入滅した地である。大聖人3大聖地の1つともされている。
日蓮上人は、今から700余年前の1282(弘安5)年9月8日、常陸国での湯治療養などのため、9年間にわたり住み慣れた身延山久遠寺を後にし、同月18日、武蔵国池上郷の鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲の館に到着した。
日蓮上人は、この宗仲邸で療養につとめながら、小康時には弟子や信者に「立正安国論」の講義などをしていたが、病がいよいよ重くなり、10月8日に6人の本弟子(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)を定めて後を託し、10日には形見分けもした。
さらに翌11日に14歳の経一丸(きょういちまる・後の日像上人)に京都開教を遺命、枕元に大曼荼羅本尊(だいまんだらほんぞん)を掛けさせた。
そして13日辰の刻(午前8時)、弟子や信者一同が静かに法華経を読誦する中、亡くなった。享年61歳であった。
この時、大地は揺れ動き、庭の桜が一度に時ならぬ花をつけたと伝えられる。
日蓮上人の滅後、池上宗仲公は日朗の弟子・日澄に館を寄進して寺とした。こうして誕生したのが「長崇山 本行寺」(通称「大坊」)である。
隣接する池上本門寺の末頭、理境院、照栄院と共に池上三院家の首席であり、正面の赤門はその証しとして、当寺院の格式の高さを示している。
なお、日蓮上人が入滅した池上家の仏間跡に建てられた堂は、「ご臨終の間」と呼ばれ、昭和11年3月、東京都の史跡に指定された。
また、日蓮上人入滅時に時ならぬ花を咲かせた桜は、今も「お会式桜(おえしきざくら)」として敷地内に現存しており、旧暦10月頃に花を咲かせている。

●池上本門寺
●松濤園

・東京都大田区池上2-10-5
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system