三井八郎右衛門邸 (63 画像)
本邸は日本近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の総領家、三井八郎右衛門高公(たかきみ)の第二次世界大戦後の住宅である。1906(明治39)年以降の本邸であった今井町(現・港区)の邸宅が戦災により焼失した。そのため財閥解体を経た1952(昭和27)年に麻布笄町(こうがいちょう、現・港区西麻布三丁目)に本邸を建築して移り住んだ。この本邸が三井八郎右衛門邸である。
西麻布本邸は京都・大磯(神奈川県)・用賀(世田谷区)・今井町にあった三井家に関連する施設から建築部材、石材、植物などが集められて建築が行われている。邸内からは財閥が繁栄していた頃の男爵三井家の威勢を窺うことができる。
三井八郎右衛門邸の平面は中廊下式と呼ばれる形式である。1階は、南側に客間、食堂などの居住空間を配し、中廊下を境として北側に事務室、厨房、配膳室などのサービス空間をおいている。2階は、南側を夫婦の寝室とし、北側に階段室、便所、浴室および仏間を配す。こうした中廊下式平面は大正期に成立した平面形式であり、センターゾーンにある西川家別邸もこの形式である。
一方、建物の表情も南北で大きく異なる。庭に面する南側の外観は、柱、長押、欄間、障子などの伝統的要素で構成されている。それに対し、北側は概して装飾的要素を廃した簡素な構成である。柱や長押もなく、一見して近代の建築であることがわかる。こうした表情の違いは、建物の構造が大きく関与している。三井邸の構造は、南側が木造であり、北側は鉄筋コンクリート造りであるが、この箇所は仏間に相当しており、コンクリートの躯体(くたい)に木造を組んでいることによる。

・東京都小金井市桜町3-7-1
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