旧田中義一別邸 (69 画像)
敷地は藩政時代の毛利筑前下屋敷(石高約16000石)に当たる。主要建物の骨格は、萩に夏みかん栽培を広めた小幡高政が完成させ、大正後半からは第26代の総理大臣を務めた田中義一の所有となり、主屋の増改築が行われた。別邸内には、田中義一が大正時代に身につけた正装(大将服)など展示物が多数あり、五松閣と呼ばれる建物から観る湖畔の景色は絶景である。
また、小幡高政ゆかりの夏みかんなど柑橘類380本が植えてある「かんきつ公園」は無料で散策できる。

●田中義一
田中義一は、1864(元治元)年6月22日に萩呉服町(現・萩市呉服町1丁目)で、父萩藩士田中信祐の3男として生まれた。号は素水、幼名乙熊。維新後の1883(明治16)年陸軍教導団から士官学校に入り、1889(明治22)年陸軍大学校に進んだ。1894(明治27)年の日清戦争には第1師団副官として出征した。後、大尉に昇進し、参謀本部に出仕した後ロシアに留学し、軍事・政情を調査した。帰国後1904(明治37)年日露戦争に従軍し、のち軍部の改造に参画し軍政の中枢部を歴任した。ついで1918(大正7)年原敬内閣の陸軍大臣となり、1921(大正10)年には大将に昇進した。1923(大正12)年山本権兵衛内閣に入閣、再び陸軍大臣となったが、1925(大正14)年高橋是清の後をうけて政友会総裁となり、産業立国、日華の経済提携をスローガンに掲げて時局に臨んだが1927(昭和2)年総理大臣となり内閣を組織して、外務大臣、拓務大臣を兼任、普通選挙による最初の総選挙を実施したが、1929(昭和4)年退陣し、同年9月29日急逝した。享年65歳。

・山口県萩市平安古町164
公式ホームページ

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