朝倉彫塑館 (22 画像)
当地は、近代の代表的な彫塑家、朝倉文夫が、1907(明治40)年から1964(昭和39)年に没するまでの56年間、アトリエ兼自宅として使用していた場所である。
朝倉文夫は、1883(明治16)年大分県で生まれ、明治40年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科を卒業後、当地に住居とアトリエを新築した。
当初は小さなものだったが、その後改築・増築を繰り返し、現在の建物は、旧アトリエ棟が大正12年の竣工、住居棟及びアトリエが昭和10年の竣工である。建物は朝倉が自ら設計し、細部に至るまで工夫を凝らし、こだわりを感じさせる。
本建物内で数多くの彫塑が制作され、代表作に「墓守」「吊るされた猫」「時の流れ」などがある。
朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、門下生を育成した。朝倉彫塑館は、いわば住まいと学校と制作の場が一体となった空間だったのである。
建物は数寄屋造に依拠した和風の住居棟と、近代洋風建築のアトリエ二棟からなるが、アトリエの床部分が昇降可能な大型彫刻の制作に適した造りとなっているなど、随所に彫塑家朝倉文夫の個性がうかがえる。
「五典の水庭」[ごてんのすいてい]と呼ばれる湧水を利用した中庭は、文夫自身が作庭したもので、仁義礼智信の石が配され、訪れた人の憩いの場となっている。
1967(昭和42)年、故人の遺志を尊重し、朝倉彫塑館として一般に公開され、1986(昭和61)年、台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館となった。
2001(平成13)年、建物は国登録有形文化財に指定され、同年、本館に所蔵される文夫の代表作「墓守」の石膏原型は、重要文化財に指定された。2008(平成20)年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定された。名勝指定を受け、2009(平成21)年から2013(平成25)年にかけて、修復、耐震補強を施すと同時に、文化的な価値を高めるための保存修復工事が行われた。

●朝倉文夫
1883(明治16)年、大分県大野郡池田村(現豊後大野市)に生まれた朝倉文夫は、19歳の時に実兄の彫塑家渡辺長男(おさお)をたよって上京し、彫塑と出会う。翌年、東京美術学校に入学、1907(明治40)年に同校を卒業した朝倉は本格的に創作活動をはじめる。文部省美術展覧会(文展)で受賞を重ね、作家としての地盤を固める。卓越した技巧に基づいて写実を追求し、「墓守」をはじめ数多くの優品を残した。また、教育者としても盛んに活動し、日本の彫塑界をリードする中心的な存在として活躍した。1948(昭和23)年には彫刻家としてはじめて文化勲章を受章し、1964(昭和39)年81歳で没した。

東京都台東区谷中7-18-10
公式ホームページ

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