福島屋旅館 (3 画像)
福島屋の先祖は古くから熱海に住んでいたが、明治初期に福島屋として宿屋をはじめた。
明治30年代発行の熱海の地図に載っている宿屋で、当時の屋号と経営者の名字が一致して宿屋として残っているのは古屋(内田氏)と福島屋(松尾)だけである。
当初は木造二階建てだった福島屋は大正13~14年に木造三階建てに建て替えられたが、建物は昭和19年の本町大火で焼失した。
本町大火は福島屋の近所から出火し、近隣の80戸余が焼失した。
戦後まで辺り一体は焼け野原のままであったが、福島屋では温泉熱を利用して製塩を行ない、三島の野戦重砲連隊に納めていた。
福島屋は戦後になり、少しずつ増築を繰り返し再建されていった。
なお、アララギ派の歌人・齋藤茂吉の義父・齋藤紀一は、喘息を病み、風邪をひくことも多かったため、体調が悪化すると熱海の福島屋で度々静養しており、1928(昭和3)年11月17日、ここで心臓麻痺のため68歳で亡くなった。11月12日に呼吸困難となり、酸素の吸入を行ったが、14日に熱海へ行き、さらに八丈島で静養する予定であった。
茂吉は講演のため、信濃におり、養父紀一の死を悼み「籠喪」を歌った。

しづかなる死にもあるかいそがしき劇しき一代おもひいづるに
かぞふれば明治二十九年われ十五歳父三十六歳父斯く若し
休みなき一代のさまを謔れに労働蟻といひしおもほゆ
身みづからこの学のため西方の国に渡り二たび渡りき
今ゆのち子らも孫も元祖(もとつひと)Begründerと称へ行かなむ
おもひ出づる三十年の建設が一夜に燃えてただ虚しかり
(「ともしび」昭和3 年「籠喪」)

・静岡県熱海市銀座町14-24
公式ホームページ

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