福島関所跡 (18 画像)
福島関所は、江戸幕府が江戸防衛のために五街道の各所に張りめぐらした50箇所にのぼる関所の内でも、東海道の箱根、荒居や中山道の碓氷などと並び天下の四大関所のひとつであった。創設された年代は明らかでないが中山道の開かれた慶長7年とあまり下らない頃の事と考えられている。有事の際には、関所を封鎖し、江戸を守るために、木曽川の断崖に望む険しく狭い場所に設けられていた。明治2年の廃関後に取り壊されたが昭和50年、学術発掘調査をふまえて関所門が復元された。関所建物(上番所・下番所・勝手)を模した福島関所資料館と史跡公園が整備され、昭和53年国史跡に指定されている。
江戸時代、関所を通るには手形や証文が必要だった。幕府が、江戸に在る諸大名の妻子の脱出を監視するために使われたのが、関所女手形である。木製の「日帰女手形」は福島在住の女性が日帰りで通行するためのもの。遠出の場合は、福島関所を預かる木曽代官の山村家家老宛に庄屋から証文が発行された。それ以外の女性にはさらに厳しく、特定の発行権者による女手形が必要であった。当時の最新兵器であった鉄砲も証文が必要で、江戸へ向かうものは「入鉄砲」といわれ、特に厳重だった。福島関所資料館ではそれらの道具や武具、証文などを見ることができる。

●女改めの実際
当時、女の一人旅ということは珍しいことで、付き添いの男子が一緒なのが普通であった。
それで普通女旅人の一行が関所へ到着すると、まず付き添いの男が手形をもって下番所へ行く。関所では下番の者が「誰様の御女中でございますか」と先方の苗字を尋ねて上番の者へ申告する。すると上番は本人から直接手形を受け取って文面その他に不備な点がないか詳しく調べ、その上でさらに印鑑の引合せ(それぞれ規定の手形発行権者の印鑑が関所にひかえられてある)を行う。印鑑を符合し、手形にも不備な点がなければ実際の女改めになる。
歩行できた女は多く下番所前で手形の検閲がすむのを待っているのが普通であるから、その縁に腰掛けたまま下番の足軽が改める。
女改めの要点は大女、小女、尼等の区別、髪の模様等を調べる。全ての点が手形の文面通りとなれば下番の者がその旨上番につたえる。調べが終わると下番の者が碓氷への書替手形判をもらいに月番家老の屋敷をまわり帰ってきて、ようやく許可が下り、下番の「通れ」の一言で事済みとなるのである。所用時間は約一刻(2時間)である。

・長野県木曽郡木曽町福島関町4748-1
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