赤禰武人終焉の地 (5 画像)
赤禰武人は柱島(現岩国市)の医家に生まれた。長じて勤王僧月性の門に学び更に阿月の郷校に入り、その地の赤禰忠右衛門の養子となった。
のち吉田松陰、梅田雲浜を師友とし京都・江戸の間を往来して大いに国事に尽くした。文久3年9月高杉晋作の後をうけて奇兵隊総督となり下関で外艦と戦った。
しかしその後藩論統一について過激派と合わず、上京して幕府に近づき長州の立場を説明しようとした。これを幕府と内応したものと見て捕えられてこの地で処刑された。時に慶応2年正月25日、享年28歳であった。

・山口県山口市旭通り2
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