楫取素彦・美和子終焉の地 (7 画像)
中央政界を引退した楫取素彦、美和子夫妻は、1893(明治26)年、東京からふるさとの山口に戻り、防府市岡村町に居を構えた。邸宅の敷地は約500坪、庭には日本式の池、山桃、椎の大木、蔵もあったという。素彦はこの住まいで20年あまりも穏やかな暮らしを続け、83歳の天寿をまっとうした。また美和子も、夫の死後さらに10年にわたってこの屋敷で暮らし、78歳で亡くなった。現在も建物の一部が残っている。
追戸川から三田尻港に流れる小川に架かる御影石の立派な石橋をわたると大きな門があり、高さ6尺以上の重量感のある土塁が家を囲んでいた。
玄関にいたる広い前庭の左側に築山のある大きな池があり、築山にいたる太鼓橋の下に大鯉が泳いでいた。庭には椎の大木が数本鬱蒼と茂っていて、奥に古色蒼然とした建物(2階建)があった。戦前は福島人絹の工場長、戦後は県立中央病院の先生が在住していた。昭和10年代、近所の子どもたちにとっては楫取邸大門前の広場は格好の遊び場、門内にも自由に出入り出来、秋には椎の実をひろって持ち帰り、炒っておやつにしたという。
ここにある説明板の見取り図は、近所に住んでいた藤本傳治氏が記憶を元に作図したものである。

・山口県防府市三田尻1-1-42
公式ホームページ

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