新井白石終焉の地 (1 画像)
新井白石は6代将軍徳川家宣、7代将軍家継と2代の将軍に儒官として仕えた。学者としては先例のない政治への賛歌と、学問の大きな業績によって知られている。しかし、吉宗が8代将軍になると急速にその地位を失い、城中の御用部屋はもとより、小川町の賜邸も取り上げられてしまった。
白石が1717(享保2)年幕府からこの土地を与えられ、同6年移り住んだ頃は、周囲はすべて青々とした麦畑であった。
ここで白石は失意の日々を送ったのだが、一方では多くの著作を行った。絶筆となった「采覧異言」の修訂が終わった5、6日後の1725(享保10)年5月19日、69歳で波乱に富んだ一生を終わった。

東京都渋谷区千駄ヶ谷6-1

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