国司親相幽閉賜剣之地 (4 画像)
国司親相(くにしちかすけ)は長州藩の家老で、尊王攘夷の大義を唱えた幕末の志士の一人である。
1863(文久3)年8月18日の政変で京都を追われた長州藩は、翌元治元年に親相ら3人の家老が指揮して京都に攻めのぼった。しかし、蛤御門の変で大敗し、再び京都を追われた。
幕府は長州藩に、この変の責任を問い謝罪を求めた。そのために藩では親相をはじめ益田親施(ちかのぶ)・福原元僴(もとたけ)の三家老をそれぞれ支藩の徳山藩に幽閉し自刃を命じた。
ここは明治4年に廃寺になった「澄泉寺」のあったところで、親相の幽閉賜剣の地である。
親相は若干23歳で亡くなったが、その辞世の句は、

飛鳥川 きのうにかわる 世の中の うき瀬に立つは 我身なりけり

・山口県周南市徳山
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system