高村智恵子記念詩碑 (5 画像)
この地は、詩人高村光太郎の愛妻智恵子が、晩年、療養生活を送っていたゼームス坂病院があったところである。智恵子は昭和13年10月5日、53歳でこの病院の一室で亡くなった。
品川郷土の会では、この貴重な文化的史跡を永く後世に残すため、詩碑を建立することにし、高村光太郎が智恵子との永劫の別れを哀惜して詠んだ、有名な詩「レモン哀歌」を詩碑に刻んだ。
碑は推定される智恵子の背丈にあわせ、文字は光太郎直筆の原稿をそのまま拡大して刻んだ。


レモン哀歌  高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな齒ががりりと嚙んだ
トパアズいろの香気が立つ
その數滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀨戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機關ははそれなり止まつた
寫眞の前に挿した櫻の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう

・東京都品川区南品川6-7-30
公式ホームページ

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