壇の浦古戦場跡(関門海峡) (40 画像)
西へ東へと1日に4回、その流れの向きをかえる関門海峡。せまい所では、両岸の幅は700mあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット(時速18km/h)にもなる。また、瀬戸内海の入口に位置する地理的条件から、日本の歴史の節目を刻む舞台となっている。
1185(寿永4)年3月24日、平知盛を大将にした平家と、源義経率いる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をした。当初は平家が優勢だったが、潮の流れが西向きに変わり始める源氏が勢いを盛り返し、平家は追いつめられた。最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していった。なお、この戦いにおいて義経は平教経(のりつね)の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれている。

●壇之浦砲台跡

・山口県下関市みもすそ川町1
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system