潮聲閣 (38 画像)
昭和2年、大阪の元実業家・金本耕三(耕三寺初代住職・耕三寺耕三)が径大鋼管社長として大阪に在住の時、母親の安息所として建築されたものである。
孝心の深い初代住職が、何としても母親を慰めたいと、資材精選などに手間暇をおしまず建築されたもので、木材には一ヶ所の節もなく、半世紀を過ぎた今日でもわずかの傷みも見られないことからも、いかに入念に造られたものかがわかる。また、精緻さと豪華さは西日本屈指で、これほどまでに優れた和様建築の技術は、今後見られないのではないかと思われるほどである。
前庭、中庭、内庭に囲まれ、三室の台所、浴室、化粧室に続いて、重厚典雅な2階建て洋館がある。階下は応接室で、その調度品はすべて中国清朝時代の豪華なものである。階上は貴賓の寝室になっている。
洋館の向かいには、中庭を隔てて高欄付紫檀の外縁をめぐらせた8畳の控えの間がある。ここは元々母親の居間で、現在老人室と称されている。初代住職が母親の居間にふさわしいよう特に優美かつ華麗に建設されたもので、精選を重ねた最高級の美洲檜材を用いて、じつに5ヶ年間をかけて完成した。障子は黒柿、黒壇、鉄刀木(かたやさん)などを使い、床壁は鳥の子に金砂子蒔、欄間は花鳥彫りの極彩色になっており、金地襖の紅梅に鴛鴦(おんどり)の図、特に金砂子蒔の柾(まさ)、桐材を使った極彩色の百花百鳥の図を132面張りつめた格天井など、その資材の貴重さと技術の精妙さは、まさに近代日本建築の極致といっても過言ではない。現在この部屋は、薮内流茶道の道場として鳦(つばめ)庵門下に使用されている。 老人室に続いて衣装室、内玄関があり、廊下を隔てて床まわりに紫檀、黒檀、鉄刀木を使った豪華な大広間、次の間がある。また表玄関に続いて化粧室と居間があり、一番奥まったところが宗派最高の荘厳なる仏間となっている。
初代住職は内室とともに京都の古儀薮内流茶道と非常にかかわりが深く、耕三寺は宗家とも特別な関係にある。西側庭を隔ててある茶室は、金も戸が免許皆伝を授けられた折、宗家邸内の茶室燕庵を、12世猗々斎竹風家元の指導のもとで原寸大に建てられたものである。3畳台目の本席に相伴畳があり水屋も完備、扁額は伏見淀城の金庫の古材を使ったもので、「鳦庵」の文字は猗々斎家元の筆によるものである。
鳦庵の西北に隣接しているのが孝庵で、茶道の道場として利用されている。仏間、茶室などからなる数寄屋造りだが、初代住職の趣旨を受けて簡素な造りとなっている。

●耕三寺
●未来心の丘 巍々園

・広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
公式ホームページ

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