山縣伊三郎生誕の地 (5 画像)
明治・大正期の政治家、公爵。萩藩士勝津兼亮の二男として1857(安政4)年12月23日、川島のこの地で生まれた。1861(文久元)年叔父山縣有朋の養子となり山縣家を継いだ。 明治4年上京後、ドイツに留学。帰国後法制局参事官に任じ、のち愛知県・東京府の書記官を経て、徳島・三重の県知事、逓信省管船局長、内務省地方局長、同総務長官、内務次官などを歴任した。39年逓信大臣に任じ、41年辞任して貴族院議員となり、ついで韓国副統監、政務統監、朝鮮中枢院議長となった。大正9年には関東長官、11年枢密顧問官に任じられる。14年答礼使として仏領印度支那に派遣され、日仏国交のためにつくす。
文雅風流の道に通じ、特に蘭画を描くのが得意で、また、尺八に巧みであった。昭和2年9月24日病没、71歳。
勝津家建物が残り、門前に碑がある。

・山口県萩市川島257

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