児玉源太郎生誕の地 (8 画像)
日露戦争で、満州軍総参謀長を務めた陸軍大将、児玉源太郎(1852~1906)は、1852(嘉永5)年2月25日にこの地にあった児玉家の屋敷で生まれた。当時使用していた井戸が保存されており、「児玉大将産湯之井戸」の標石がある。
児玉家は源太郎の父半九郎の死後、1858(安政5)年に浅見栄三郎の次男、厳之丞(のちに次郎彦)を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせた。次郎彦は藩の大目付等を務めたが、「正義派」の一人として活動したため、1864(元治元)年8月12日早暁、「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の死を遂げた。次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されたが、正義派が政権をとるや、1865(慶応元)年7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられた。
この屋敷跡は明治になって源太郎が買い戻し、当時の屋敷の一部を残して、大部分は近代的な児玉文庫としたが、1945(昭和20)年、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失した。

●児玉神社

・山口県周南市岐山通3
公式ホームページ

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