旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 (27 画像)
厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を始祖とする毛利家の一門である。総石高は8371石余のうち、主として厚狭(現在、山口県山陽小野田市)に知行地を持ち、ここに居館を構えていたので、厚狭毛利と呼ばれていた。
厚狭毛利家萩上屋敷は、萩城の二の丸南門の南100mの要地にあり、面積約15500㎡(約4700坪)の広大なものであった。屋敷地の中にあった主屋や庭園などは、明治維新前後に解体されてこの長屋のみが残っている。
この長屋は1966(昭和41)年6月に国の重要文化財に指定され、翌1967(昭和42)年7月~解体修理に着手し、43年11月に完成した。解体修理の際に発見された棟札から、長屋は10代元教(のち元美)の代、1856(安政3)年5月に建てられたことがわかる。用材はすべて領地の厚狭で調達され、切り込みを施したうえ記号と番号をつけて、海路萩まで送ってきたという。
建物規模は桁行51.4m、梁間5.0mと長大な構造で、現在萩市内に残っている武家屋敷長屋の中で最も大きく、屋根は入母屋造り本瓦葺きで、出格子5ヵ所、格子窓6ヵ所を設けている。内部は東の座敷(部屋数10)、中の座敷(部屋数6)、物置(土間、二階造り)、西の座敷(部屋数3)および板の間の5つのブロックに分かれている。各座敷は、厚狭毛利家の家臣たちの詰所になっていたものと思われる。また、西の端にある板の間は中間部屋で、昭和43年の解体修理の際に復元した。

●萩城


・山口県萩市堀内85-2
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